正中館道場の「正しく中る」
孔子曰く、龍徳ありて正中なる者なり。庸言(ようげん)これ信(まこと)にし、庸行(ようこう)これ謹(つつし)み、邪(じゃ)を閑(ふせ)ぎて、その誠を存し、世に善くして伐(ほこ)らず、徳(とく)博(ひろ)くして化す。
(孔子は言う。龍のごとく徳があり、中庸を得ている者である。日常の言葉に誠があり、日常の行いには、謹みがあって、よこしまな心を防ぎ、その誠を保ち世に良くして比景らせず徳を大きくして他人に良い影響を与え導いていくのである。)
『中(あた)る』© 道観世宗慶先生執筆 文武一礼
「当たる」ではない。「中(あた)る」である。
この項目は、武道の真髄に迫らんとする講話である。
的(まと)に中(あた)ることを的中(てきちゅう)と漢字表記する。
すなわち、この「中る」という語源は、なかんずく弓道に由来しているのである。
日本における弓道の歴史は古く、「正しく射貫き、魔を射止める」という伝承が遺されている。かつて阿波研造(1880〜1939)という弓聖と称えられた名人が実在した。
彼の逸話や数多くの伝説的なエピソードは、ここでは省略するが、彼の語録で最も有名なのが、「当てようと思うな、、、狙ってはいけない」「的と一体になるのだ。当てるのではなく、中るのだ、、、」という弓禅一如の境地である。
「当てる」「当たる」は一定の距離がある外側から物理的にぶつかることである。しかし、「中る」というのは、中から、或いは内側から当てるという意味である。
誰しもがそんなことは不可能だと考えよう。
だが、以前本誌【月刊空手道】に掲載された名人芸をご覧なられた方も多いだろう。三枚重ねにした板の真ん中だけを正拳突きで割る、あの妙技。
空禅一致の境地により、鎮心正眼が中心を捉え、力が正しく中(あた)るのである。その正拳を握る平らかな手には、多年にわたる空手道への精進と文武一礼による「武徳養神」の安寧が宿っている。
大日本武徳会のマークの中には
破魔矢が神話時代からの武の象徴として
描かれている。
道観世宗慶(どうかんぜ、そうけい)先生プロフィール
昭和30年(1955年)8月3日生まれ。京都府京都市出身。
18歳頃から伝統空手を始め、22歳で上京し極真会館入門。その後、芦原英幸師範に師事して空手道にのめり込む。
現在は京都で空手界の一隅を照らさんと、「武徳養神」を趣意として空手道の振興に尽力している。
(社)大日本武徳会空手道専門委員(本部/旧栗田御所・青蓮院門跡内)
空手道範士・八段。(特法)日本武道空手協会理事長。全空連会員。
空手道検定安全具・Kプロテクター面創作者。月刊空手道「武士道」執筆者。